映画「ディストラクション・ベイビーズ」感想


公開当初は、広島は上映地域に入ってなくて残念がってたら
いつの間にか拡大公開となり、広島でも観られることに。
で、いざそうなると、あんまりバイオレンスなやつはなぁ・・・と
ちょっとたじろぎながらも、柳楽優弥の演技はすごいだろうから
やっぱり観ておこう!と前売り券購入。


こんな感じで、結構な逡巡がありながらも観てきたのですが
不安に思っていたような、ほら痛そうだろ?怖いだろ?という
露悪的な演出で感情を煽ってくるような作風ではなくて
観に行ったのは間違いじゃなかったなぁと思える作品でした。
ただこれは「思ってたより控えめだった」という意味では
全くありません。主人公、ひたすら殴り合ってますので!
「ガツッ」という拳のぶつかる音、鈍い頭突きの音・・・。
そんな生々しい音が耳に残る映画ですので、苦手な人には
決しておススメできません。


明確にではありませんが、結末にも一応触れていますので
前情報ゼロで作品に臨みたい方は、読まないでおいてくださいね。


観てる途中にふと、あれ、この人たちどういう名前だっけ?と。
それもそのはず、この作品の主要人物たちの間にはほとんど
コミュニケーションらしきものが存在していない。
公式サイト等で「泰良」という名前を目にしてたことを思い出しましたが
それがなければ最後まで、主人公の名前を知らないままだったかも。
もしかしたら、劇中で行動を共にする泰良と裕也
この二人でさえ、お互いの名前を知ってなどいないかも。
映画を見ていて、そういえばこの人たちの名前は?という状態は
そうそうないと思うので、これは意図的な演出なのではないかと。


そんな具合で、映画を観てる限りでは主要人物たちの名前は
ほぼ記憶に残らず、感想を書くにあたって名前で呼ぶのは
逆にそらぞらしいような気がします。
とはいえ役者さんの名前で呼ぶのも、内容が内容だけにちょっと
躊躇われるので(特に菅田将暉!)一応役柄の名前で・・・。


開始早々エッジ効きまくり、歪みまくりのギターが響いてきて
この音楽は?あ、音楽担当って確か向井秀徳だっけ、と納得。
音楽が雄弁に、この作品の世界観を語ってくれます。


不穏な目つきで松山の街を歩く、主人公の泰良は
とにかく殴り合いをしたいやつ。
ただ、それで喧嘩を売るにしても、よくいるチンピラであれば
「何見てんだ」とか「今ぶつかっただろ」とか無理やりにでも
何らかの因縁をつけますよね。泰良にはそれがない。
通りすがりのバンドマンをターゲットと見定めるやいなや
何も言わずいきなり襲い掛かります。
まあ・・・レッドマンもだいたいこんな感じですし(おい)
開始数分のこの場面で、主人公がどういうやつかを速攻で
こちらに理解させてきます。
ここで泰良、一度はバンドマンにぶちのめされます。
このバンドマン、思いのほか喧嘩慣れしてる。
しかし、その後ライブハウスに到着し、さきほどの出来事を
スタッフにこぼすバンドマンの前に再び現れる泰良。
ライブハウスは凄惨な暴力の舞台と化すのです。
や、やめて、そこの柵は人の頭を打ち付けるものじゃない・・・!


開始数分でのこの場面はかなりのインパクト。
鑑賞後に知ったのですが、このライブハウスはサロンキティだそうで。
そうかー!ミッシェルを観に、ここに行ったことがあります。


泰良はとにかく殴りたいから殴る。
そこには、苛立ちや怒りの発露という「らしい」理由もない。
相手にぶちのめされても、なんかその辺で適当に食べて
ヒットポイントが多少なりとも回復したら、即リベンジマッチ。
いや「リベンジ」と呼ぶのは違うか。あれは仕返しではないから。
殴り合いに応じてくれるやつを見つけたから、また殴り合いに行くだけ。
一度ロックオンされたら終わりです。怖い。
「理由なく襲い来る恐怖」という点では、この作品ってある意味
ホラーとか、モンスターパニック映画と近いものがあるのかも。
全く詳しくないので、想像で言ってますが。


菅田将暉が演じる高校生・裕也は、その泰良と何度か遭遇。
悪めの仲間をボコボコにされたり、追いはぎされたりで
とにかくヤバいやつとしか思ってなかった泰良に
次第に魅せられていき、自ら行動を共にするようになる。
裕也の思いつきのせいで、恐ろしい事態に発展していく。


この裕也が、心底どうしようもないやつで。
泰良と行動を共にすることにより、調子づく裕也も暴力に走るが
彼の矛先は「明らかに自分より非力な者」にしか向かわず
見ているこちらの気持ちは嫌悪でいっぱいになる。
この裕也により、泰良の暴力は決して「非力なもの」は
ターゲットにしていなかったことが対比として浮かび上がり
同時に、裕也の暴力への嫌悪を強く感じることにより
これまで泰良が繰り広げてきた暴力へ抱いていた感情は
それとはまったく別のものであったことにもふと気づく。
その感情が何なのかはわからないが、いつのまにかこちらは
泰良の行為をただ息を詰め、食い入るように見つめていたのだ。


泰良は、非力な者をただいたぶるようなことはしない。
かといって彼は、何らかの美学によって動いているわけでもない。
それは泰良が、自分の暴力とは全く別種である裕也のそれを
決して止めることはない、ということによく表れている。
殴り合いに応じてくれる相手と、ひたすら殴り合いたい。
彼の動く理由はそれだけなのだ。


一般的な視点だと、裕也の行動は泰良よりわかりやすいといえる。
もちろん、共感できるできないという話ではなくて。
泰良と行動を共にして、狂気じみた行為を続けることによって
世間の注目も得られるが、それは望んでいたようなものではなく
裕也は徐々に苛立ちを募らせていく。
泰良に向けても「俺に興味なしかよ!」と叫ぶ。
裕也をこれまでの陰惨な行為の数々に駆り立てたものは、結局は
珍しくも何ともない自己顕示欲だと、この台詞にも端的に表れている。


それにしても、この人たちは一体どうなってしまうのか。
「狂気に満ちた若者たちの暴走の果て」に、迎える結末というと
破滅という落としどころがやっぱり妥当なのかな。
そう思いながら観ていたのですが・・・。
人質として拉致した那奈により、裕也は自業自得といえる結末を迎える。
そして事件前から、万引き常習犯であり、それによる自分の落ち度も
他人に押しつけるなど、善良な人間としては描かれていなかった那奈。
巻き込まれた被害者とはいえ、事件の中で彼女も決して許されない行為に
及んでしまっており、善良な被害者という仮面もいずれは暴かれそうだ。


しかし泰良だけは違う。
彼はもはや、自業自得とか因果応報などという
こちら側の倫理観が通じる次元にはいないのだ。


前述したとおり、泰良が名前を呼ばれた場面も思い返せないし
そもそも彼その人が言葉を発することもほとんどない。
台詞がほとんどないとは聞いていたが、本当にほぼ喋らない。
裕也の服を奪う場面なんて、泰良に「血と汗と土埃の染み込んだ服から
着替えたいなぁ」なんて普通の感覚もあるのかと意外だったほどだ。
この場面と、強面の男を再戦で倒して勝鬨を上げる場面と
那奈にあることを尋ねた場面、感情らしきものを垣間見せたのは
このあたりくらいではないだろうか。
(尋ねたところは怖かった、こういうことなら興味を抱くのかと)
もしかして最初から、コミュニケーションの対象としては
描かれておらず、人の姿こそしてはいるが別のものという
一貫してそのように描かれていたのかも知れない。
やっぱりこれは、一種のモンスターパニック映画ともいえるのかも。


そんな泰良をひたすら案じ探していた、弟の将太。
彼の存在があることで「あの泰良にも、普通の兄貴っぽいところが
あったりしたのだろうか」とも思わされる。
冒頭で将太が遠くから泰良に呼びかけたとき
泰良はごく普通の兄ちゃんっぽく返事をしかけてたものね。
(そこで集団に襲撃されて喧嘩が始まり、それからかなりの長い時間
泰良には台詞らしい台詞がないわけですが)
終盤で心が荒んでゆく将太を見ながら、このまま彼も
暴力の連鎖に染まってゆくのだろうか、そういうテーマなんだろうか
と慄きながら観ていたのですが、彼は踏みとどまりそう。
もはや別次元にいそうな泰良、だけでなく
人として生きていく将太、も確かに存在している。
そういう物語だったのでしょうか。



パンフレットを買おうと売り場に行ったら
置いてあったのはオフィシャルブックなるものでした。
パンフとは違うなら、書店とかでも扱っているのだろうか・・・。


それにしてもこの、いかにも表紙!って感じの構図。
映画観終えた直後にこれを見たものだから
「君らそんな関係性じゃないじゃん!」と
心の中で、思わずそんな突っ込みを入れてしまいました。
同じ気持ちを抱いた人は、きっと少なくないはず。
一般的な映画パンフレットより厚みがあり、インタビューなども
かなりしっかりページを割いてあり、そしてなにより
シナリオ決定稿が載っている!これは驚きでした。


それにしてもこの作品の凄まじさ、もしや順撮りではと思ったら
少なくとも、柳楽くんの場面はそうだったらしい。
徐々に傷が増えていく感じを出すために、だとか。
たとえ演技でも、あれだけ殴り殴られを繰り返し
皆さん本当に大変だったと思います。
そんな皆さんの熱演のおかげで、ものすごい映画となっています。


あと、タイトルがちょっと内容とミスマッチではと思ったのですが
ナンバーガールに、破壊衝動をテーマにした
「DESTRUCTION BABY」という曲があったのですね。
このタイトルに決めたからこそ、向井秀徳に音楽担当を
お願いすることにした、ということなのだそうです。